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ひながたり。

writing practice as practice flight

BGM事情

音楽については語れないから語らないようにしているけど、それでもピアノの音色は無学の身にも良さを教えてくれる優しさがあると信じてる。

 

ゲームのBGMの話、今年の初めあたりに夜のひつじの相思相愛ロリータというゲームを遊んでいて、シナリオもそうだけど、BGMが特に印象に残ってた。ほぼすべての曲がピアノだけで構成されてて、以前にも記事に書いてたけど、涅槃の空気、それにしとやかさ、あと少しの背伸び、そういったものを感じさせてくれる音楽で、いつまでもぼんやりと浸っていたい感じの曲ばかりだった。

 

hina747.hatenablog.com

  

ゲームをクリアすることでおまけのサウンドモードが出現すると思っていたんだけど、実際には音楽だけ楽しめるモードというのは存在しなくて途方に暮れていた。そしたら後日に安眠添い寝ロリータ、これは相思相愛~のファンディスクに相当する音声作品だけど、これを買ったら相思相愛~のサウンドトラックがおまけで付属してきた。ちゃんと調べてなくて、買う前には知らなかったことだったので嬉しい誤算だったし、おかげで存分に音楽を楽しめる最高の状態になれた。 

 

夢の途中

夢の途中

 

話は変わってラジオの話、朝目覚めてはラジオをつけたらラジオ深夜便がやっていて、もう終わりかけという時間帯だったんだけど、そこで流れてきたピアノの曲がとても印象に残ってた。曲の冒頭の部分ですでに大変良くて、夜の雰囲気が残る明け方の静謐さ、どことなく暗さをも伝えるその音楽をアンカーが紹介するには平井真美子の夢の途中という曲、早速調べたらiTunes Storeにもあったのでアルバムを買った。アルバムには一転して軽やかさのある曲も含まれていて、でもやっぱり夢の途中が一番良いのは変わらなかった。BGMと違って曲単体で主役になれる強さがあって良い。

 

ちなみにその朝の夢、まだ学生をやっていて、研究室のボスからフットサルの試合の取りまとめ役をやるように言われる。フットサルは隣の研究室と毎月一回やっているという設定で、僕はフットサルなんて出来ないし、どうしたものかと迷ったけど、でもこれはきっとボスの粋な計らい、隣の研究室とのコネクションを作って、僕の研究にシナジーを発揮させましょうというやつだと思って引き受ける。でも試合をやる前に地震が来たところで夢が終わった。

 

夏空のペルセウス タペストリー B 遠野恋

夏空のペルセウス タペストリー B 遠野恋

 

 

話をゲームのBGMに戻すと、最近、といっても10月の頭からだけど、minori夏空のペルセウスを遊び始めた。なんでこのゲームを遊び始めたかについては後日また別の記事に書くとして、この作品のBGMもまたピアノ感があって良い。ところどころでピアノじゃない音も聴こえるけど、でもメインで鳴っているのはピアノの音色だと思っている。ゲームに付属していたサウンドトラックで2番目にかかるmorningという曲、ゲーム中では恋の初登場シーンで流れるBGMが特に好きで、この場面は――例えを出すのは無粋であることは重々承知しつつも――Airで初めて観鈴に出会う場面と同じ感動をもたらしてくれた。けれどこの作品で強調されているのは太陽の光の眩しさと、色彩豊かな生命感であって、観鈴が儚い印象を与えるのに対して、恋はその尖った意志の力強さを良く見せてくれた、いや見せつけてくれた。ということで以上の曲あたりで最近はローテーションしてる。

 

Garden Original Soundtrack

Garden Original Soundtrack

  • Duca, ANZE HIJIRI
  • アニメ
  • ¥2000

 

書いているうちに色々と思い出してきて、そういえばCUFFSのさくらむすびとGardenもピアノの良いBGMを持っていたことに思い至って、取りこぼした話題に気づく。けれど本来が無学の身であって、ここまで書くのも結構苦労したし、あまり音楽に触れすぎてもぼろが出てしまう、というかもう出ているかもしれないので、この辺で切り上げておく。

 

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泉鏡花記念館行った

泉鏡花という作家、以前に好きで作品をよく読んでて、このブログも開設して間もない頃にはその影響を受けてた時期があった。それでも今になって振り返ってみると、ブログを続けていくなかで彼と彼の作品に触れる場面はあまりなくて、その影響力は森博嗣やZUNに比べて小さかったことを認めざるをえない。今ではブログタイトルにかろうじて面影が残る程度、その痕跡はほとんど見えなくなってしまっているけど、それでもやっぱり好きな作家の一人だったりする。金沢に記念館があることは前々から知っていて、いつか行ってみたいと思っていたところに時宜を得たので訪れた。

 

www.kanazawa-museum.jp

 

まず何を書こうかと思ったとき、そういえば最近の能力系漫画で文豪ストレイドッグスというのがあったねと、そして泉鏡花も登場していたよねということを思い出して、参考がてらアニメ版見てた。かの作品では美少女になっている鏡花だけれど、記念館の写真に映る面影は丸眼鏡を掛けた男性のそれであって、また展示でも長男と紹介されているのでどうやら男の人っぽい。

 

 

常設展、展示室はあまり広さはなくて、生い立ちの紹介とゆかりの品々が展示されてる。解説によれば泉鏡花はとにかく潔癖症だったらしくて、食べ物には火を通すし、消毒用のアルコール綿は常時持ち歩いて、あとホコリが落ちてこないように天井板の隙間は塞ぐ徹底ぶりだったっぽくてストイックな緊張感がある。一方で向かい干支、自分の干支と反対の位置にある干支のことだけど、これが縁起が良いということで、鏡花の向かい干支であったうさぎグッズがいくつか展示されてて、こちらはやさしさと微笑ましさがあった。このあたりは文豪ストレイドッグスの鏡花が湯豆腐が好きという設定、それに携帯に付けていたうさぎのストラップに反映されてるのかもしれない。あまり詳しく知らなかったけど鏡花とうさぎの結びつきはけっこう強いらしくて、それは向かい干支の話が母親からの言いつけでもあったからだそう。うさぎは記念館の意匠にも現れていて、ロゴにあるうさぎの耳と丸眼鏡と横顔との取り合わせにはデザイン的な巧さ感じる。

 

これとは別に途中でジオラマがあったけど通り過ぎてしまったから詳細は不明、あと展示室以外にもミニシアターがあって、こちらもちゃんと見れば良かったんだけど、映像の途中で興味が失せてしまったのでよくわからないまま終わった。

 

 

常設展とは別の企画展、今回訪れたときに展示されていたのは宇野亞喜良山本タカトが手がけた作品群で、これらは鏡花作の戯曲『天守物語』に関係するもの。鏡花の作品、僕はひたすら短編ばかり読んでいたからこの戯曲は読んだことはなくて、それは文語体の長編を読めるほどの忍耐強さが僕の中に存在しないからなのだった。なので今回初めて世界観を知ったし、戯曲の意識高まったはずだったけど未だに読めてない。

 

山本タカトの画風はどこかで見たような気もしていて、少し調べたら夜想とかパラボリカ・ビスと繋がってきた。後者は耽美な絵画や芸術を展示しているギャラリーで、僕もかつて一度訪れたことがあったんだけど、ああなるほどなという感じ。あるいはショップで売られていた文庫本のカバー表紙絵が天野喜孝で、僕は中学時代にFFをやって以来もうずっと天野絵はいいぞという感覚を引きずり続けているけど、泉鏡花山本タカトしかり、天野喜孝しかり、そういう耽美の文脈で位置づけられる作家なんだなということを今回あらためて思った次第です。

 

天守物語 (Pan-Exotica)

天守物語 (Pan-Exotica)

 

  

ショップでは企画展に関連した天守物語の書籍も売っていて、買おうかとしばし悩んだけど、わざわざ旅路に荷物を増やす必要もあるまいと思って買わずに済ませた。代わりに絵葉書を数枚買って帰った。

 

 

金沢はかつて文豪がよく住んでいたらしくて、それは三大文豪として泉鏡花徳田秋聲、そして室生犀星が挙げられていることからもわかる。僕はこれまで泉鏡花しか知らなかったけど、金沢にはそういう背景があることがわかって物知りになれた。その日は1DAYパスポートを買っていて、これは当日中に金沢市内の文化施設に行き放題になるというもの。上であげた三人の記念館はもちろん、他のミュージアムも行くことができてお得。このチケットもそうだし、これとは別にナイトミュージアムの催しもやってるらしくて、金沢はそういう芸術系の盛り上げ方が上手いと感じる。

 

当日はついでに徳田秋聲記念館にも寄ってみたんだけど、こちらは僕のほかに観客が一人もいなくて、静かでゆったりとした時間を過ごすことができた。三大文豪の残りの一人である室生犀星の記念館は少し遠かったので今回はパス、次に金沢に来る機会に取っておいた。

 

Cave 「怒首領蜂最大往生」 遊んだ、他

東京・日本橋にあるギャラリーspace caimanで先週末から開催されているポメロメコ展、作者である劇団イヌカレーについて僕が知っているのはまどかマギカくらいなもので、せいぜいにわかファンといったところなんだけど、実際足を運んでみたらなかなか良さあった。でも残念ながら今回の記事の主題はそれではなくて、もちろんポメロメコ展についても機会があれば書いてみたいけど、展示を見た帰りに駅近のゲーセンに寄って、怒首領蜂最大往生を久しぶりに遊んだ日記風の記録。

 

このゲーセンには休日にしか来たことがないし、たいていspace caimanに行った帰りに寄る程度のもので、そんなに足繁く通っているわけではない。なので詳しい現場状況を知るわけではないんだけど、いつ行ってみても結構空いてる。麻雀がやたら充実しているのがここの特徴で、コナミ麻雀格闘倶楽部セガのMJも結構な数の筐体が置いてあって、でも遊んでいるのはせいぜい数人という様子しか見たことない気がしている。それは遊ぶ側にしてみれば騒がしくなくて実にありがたいんだけど、採算取れてるのかなと余計な心配をしてしまう。

 

それで今回行ってみたら見慣れない縦画面の筐体が並べてあって、よく見たら中に入っているのが最大往生で、驚いたのと懐かしさあったので思わずコインいっこいれた、もといSUICAを端末へと向けた。ここでは多くのゲーム、もしかしたら全部のゲームかもしれないけど、コイン投入もできつつ電子マネーにも対応しててとても便利。ちなみに最大往生の隣の筐体には虫姫さまふたりブラックレーベルが入っていて、こちらは遊ばなかった。

 

ゲームの経過、三和製スティックのやわらかさとC-S機体のCV能登麻美子のやさしさを感じつつ開始して、残機を見たら5機設定でこれまたやさしさを感じたのもつかの間、パターンを完全に忘れてることに気づいて愕然とする。以下詳細は省くけど、3面中ボスで1ミス、そのすぐあとくらいで8億点のエクステンド、4面中ボス前で1ミス、中ボスではオートボム発動したせいで1UPは取れず、中ボス後で2ミス、ボスで1ミス、そして5面中ボス手前で1ミスしてゲームオーバー。幸龍にすらたどり着けずに終わって、なんかもうどうしようもない感じに腕が落ちてて語る言葉も出ない。

 

それでも当時の観察眼は未だ自分の中に残っていて、上で書いたようにどこでミスしたかもそうだし、どこで危なかったかもちゃんと覚えられていた。どこが難しくて要点なのかということ、これを攻略のコツとでもいえば良いのか、そういうものを見出すことができていた。これは数年前の度重なる試行の末に得たものであるから、そうした要点やコツを知らないゲームの攻略、もっと一般化すれば未知の問題に対しても、即座に見いだせるかといったらそんなことはない。けれど以前に記事*1にしてた東大卒プロゲーマーの中で「何かに真剣に取り組むと、たとえそれがゲームであっても、いつの間にか、成功するための『型』のようなものが身につく」とあったように、どうすれば攻略のコツ、もっと一般化すれば問題の要点が見つけられるか、その取っ掛かり程度は自分の中で培われてたっぽい。

 

まあ当時から残り続けるものもあれば失われたものもあって、往時の攻略パターンは完全に忘却の彼方にあって、そしてパターンがないことにはどうしようもなかった。無印*2や大往生*3はガチガチにパターン組まなくても、なんとなくでラスボスまではたどり着けたりするものだったけど、最大往生はそうはいかなかった。遊んでいる当時はそんな感覚は少しも覚えなくて、こんなにもパターン性の強いゲームだったとは思っていなかったので驚く。以前に買っていた箱○版最大往生の超限定版には設定資料集が付属していて、中には製作者インタビューのページがあった。そこでYGWこと矢川忍氏が「(最大往生は)あまりに難しすぎ」「(最大往生のプレーヤーは)マゾですね!?」と答えていたけど、それが今になってようやく理解できつつある。

 

怒首領蜂最大往生 (超限定版)

怒首領蜂最大往生 (超限定版)

 

 

明晰夢

明晰夢、小学校時代の校舎に居て、全校集会が終わって体育館から教室に向かってぞろぞろと歩いている時に、この突拍子もないシチュエーションはもしかして夢なんじゃないかと思い立つ。そこでここが夢だと自覚した。

これまでは明晰夢の一歩手前、夢だと自覚した時点でもう眠りが浅くなっていて、間もなく目覚めてしまうというケースは経験していたのだけど、今回のはより一般化されて鮮明に見ることが出来た。

 

夢だからと言って破天荒に行動すると夢が破綻するのか、すぐに目が覚めてしまうのは経験上なんとなく分かっていたので、そうした行動は敢えて避けつつ静かに校舎内を歩いてみる。注意して観察すると校舎内でも全然人が居ない不審な場所とかがあって、そういうところには近づかないようにして大人しくして居た。危うくなる状況を避けて、夢に従順になるように行動する事で夢を長持ちさせられるらしかった。

 

校舎内の廊下を歩きながら、ふとハピメアの主人公のことを思い出して、彼曰く指を鳴らすと夢の世界を好きなように変えられるとの事で、ならば僕もと思って真似して指を鳴らしてみる。鳴らした親指と中指のところでポワンとエフェクトが発生して、でも何も起こらなかった。今回は調子が良くないのか、けれど本当に変えられたとしたらそれは若干都合が良すぎるようにも感じられて、結局のところ僕には夢を改変する能力は無いらしいという事で結論づけられた。

 

途中で何かに追われる感覚を持ったので一階の廊下の窓から外に出て、実家のある方向へと逃げる。実家の裏の通りに着いた所で振り返ると、追いかけてきたのが子犬の群れだったことに気付く。それらは何らかの理由で僕の中ではこわいわるいものとして認識されていたので、道路脇の側溝に蹴落としている場面で夢が終わった。

 

こうやって書いていると自分の中の隠された能力が目覚めたみたいで中学二年生っぽくて良いんだけど、僕はもう中学生ではないから悠長な事は言ってられないし、しかも残念な事に明晰夢はそれ以来見られていない。寝る前に、今から見るのは夢だからそれを夢のなかで気付くように、と再三念じてから眠りについても、夢の中では結局そこが現実だと思ってしまって夢の事象に振り回されてしまう。

 

明晰夢、たぶん何らかの発生条件が有って、先日はそれがたまたま揃っただけという事なのだと思う。本当にこれがそのたぐいの物だったのか、今となってはちょっと怪しい気もしていて、でも夢の中で指を鳴らした事は確かに覚えている。世界を思い通りに改変しようとして指を鳴らす、それは現実世界では決してやらない事だから、この一件をもってやはり明晰夢だったんじゃないかと思い直す。

 

前にも書いたけど、夢は寝ているだけでコンテンツを自動生成してくれるので大変に都合が良い。アマツツミを遊んだあとにハピメアを遊んだら、テキストの見た目の濃さに少し驚いてて、それは漢字の閉じが多いからなんだけど、今回はそれに乗じて漢字多めで書いてみた。この辺は些と余談でしょう。

 

 

ねくねっとガールズスリーブコレクション Vol.030 ハピメア 「舞亜」

ねくねっとガールズスリーブコレクション Vol.030 ハピメア 「舞亜」

 

 

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大塚ギチ 「THE END OF ARCADIA EXTRA VERSION」 読んだ

本作はもともとネット配信された小説で、その後の書籍化、そしてエクストラ・バージョンとして再度書籍化されたのが本書ということで、多少複雑な経緯となっている。以下に本書とその周辺から得られる本作の歴史を簡単に整理しておく。僕は今回初めて読んだ。

 

シューティングゲームを題材にした小説というと、僕が真っ先に思い浮かべるのは川上稔の連射王で、これに関しては以前にブログでも記事*1にしてた。本作と連射王では共有して持っている空気があって、それはある程度は予想されるものではあったけれど、例えばアーケードのシューティングゲームに熱を上げる温度感であるとか、ゲームの要所を攻略していく、もしくは攻略を語る醍醐味であったりした。その一方で両者で決定的に異なっているのは主人公のあり方で、連射王の主人公が高校生であるのに対して、本作のそれは40歳を超えたおっさんとなっているところです。高校生の少年はその若さで新しいことをどんどん吸収して、ゲームを攻略していくけど、不惑過ぎの男は長いブランクを経た自分の体をまず鍛え直し、むかし得意だったルービックキューブを組み直し…というところから始まる。

 

若いうちにこの本は読んでおけ、みたいなことは色々なところで良く語られるけど、その意味では自分が若かった・シューティングゲームに熱を上げていた頃に連射王を読み、そして逆に年を重ねたうえで本書を読めたことは、たいへんに時宜を得ていたなと今になっては思う。遊ぶ時間でいえば既に第一線は退いていて、シューティングゲームも含めたゲームに対するマインドセットは徐々に変わっていく、むしろ変わらざるを得ないのは実感としてある。それを認めた上での重み、年を重ねたからこそ語れるものが確かにあって、本作からそれが感じられたのは良かった。これから迎えるであろう40代に備えての心構え、下準備としての本作というのは、さすがに少し言い過ぎかな。

 

 

本作でフォーカスされているのはシューティングゲームのハイスコアで、これはゲームが一番上手くやれることを最も端的に表してくれる数字である。僕もかつてはハイスコア狙いでシューティングゲームを遊んでいた時期があって、これは以前にも記事に書いてたけど、一番印象に残っているのは東方永夜抄だった。このゲームは本当に良く遊んだもので、当時がシューティング熱の高まりの頂点だったなと、今になっては思う。

 

hina747.hatenablog.com

 

永夜抄のExtraで20億点を取れたのは自分の中でのひとつのメルクマールではあるのだけど、一方で至らなかった挑戦というのも数多くあったのは事実だった。永夜抄でいうならば、Lunaticはまぐれの一度以外は二度とノーコンティニュークリアできなかったし、Hardは何度挑戦してもついぞ30億点に届かなかった。その挑戦の繰り返しにつらさが無かったといえば嘘になるし、加えてかつてリアルタイムで見たとある方のブログ閉鎖、いまでも記事*2が残っていたからつつしんで引用させていただくけど、

ゲームに対して初めて「疲れる」という感覚を覚えました。

というのを見ていて、僕もいつかはこんなふうに思って、ゲームをやらなくなるのかなと漠然と考えてた。

 

けれど実際にはゲームをやらなくなることはなくて、今から振り返れば少し離れていた時期はあったにしても、なんだかんだで離れたり近づいたりを繰り返しながら今に至る。シューティングゲームでいえば箱〇を買って怒首領蜂大復活で遊び、アーケードスティックを買い足して怒首領蜂最大往生を遊び、最近ではPCでMecha Ritz: Steel Rondo*3を遊んでる。もちろん遊ぶ時間は以前と比べれば格段に減ったし、スコア狙いで遊ぶ気力も体力ももはや存在しない。けれどゲームを心から打ち込むための方法は、なにもスコアラーになることだけじゃなくて、そこにはいろいろなゲームとの向き合い方があって良いと今では思うし、そしてそれは誰に強制されるものでもない、自分自身の問題だと思う。あたかも本作の主人公が900万点のハイスコアを諦め、かつての750万点を目指すと覚悟を決めたように、そしてそれは他でもなく、自分たちのための挑戦だと位置づけたように。

 

心構えをするだけが覚悟の意味じゃない。覚悟には諦めるという意味もある。確かにおれは諦めた。900万点の可能性を。だけどエンドウの思いに応えるのを諦めたくはなかった。それがおれの覚悟だった。

「今回のアタックは映像に記録したり、ネット配信したりしないの」

オトヤの問いにナンバが答える。

「それも考えたんだけど、これは別に誰かのためでもひとに見せるためにでもない、おれたちが勝手にやるだけだってこいつが言うんだ。オトヤンもそれでいいか」

「あくまでおれたちのためにやるんだね。了解だよ」

 

あるいは連射王からの引用になるけど、この部分がとても印象に残ってた。作中の竹さんの発言、冒険するだけが選択じゃない、冒険しないのもまた選択であるというのは、今になってより印象強く感じさせられる。

 

「これは、ゲームセンターという戦場での、己の態度を示すものなんです。面白く有りたい人はそのために使い、暇を潰したいひとはそのために使い、本気になりたい人はそのために使い、そして――」

「冒険しない自由さえも、己の選択です。――今の僕は、そう思いたい」

 

それは僕にとってみれば、スコアリングを諦めて、こうしてゲームについての文章を書くことが、ひとつの覚悟だったのかもしれない。そこを無意識的ながらも遷移して、軟着陸できたのは僥倖だった。ハイスコアを目指さなくとも、今こうして本気で文章を書くことで、ゲームと心から向き合っていると感じる。「敢えて問いますが、君は、ゲームが好きですか」連射王にあるこの問いには、当時から約10年を経た今でもイエスと応えられるだろう。

 

 

かつてシューティングゲームに挑み、栄光を手にした理想郷、けれどタイトル通りにいつかは終わりを告げ、そしてボーナストラックの鼎談で著者が「それでも人生はゆるゆると続いていくもんだよ」と表現したように、むしろ終わってからのほうがきっと長い。ではそこでどうするのか? かつての栄光に縋り続けるのか、それともふたたび栄光を取り戻すために立ち上がるのか――それがたとえ別の形であれ、あるいは不格好な姿であれ。年を重ねた今になっても、やれることはきっとある。その背中は、本書が押してくれる。

 

THE END OF ARCADIA EXTRA VERSION

THE END OF ARCADIA EXTRA VERSION

 

 

 

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