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ひながたり。

writing practice as practice flight

廃墟少女の愉しみ方

考えごと

廃墟少女について書いた*1ついでに、ノートをしたためながらつらつらと考えごとをしていた。

 

僕は作家の泉鏡花とか、あるいは画家でいうとフレデリック・レイトンとかの、いわゆる耽美主義や唯美主義と呼ばれる作者に傾倒していたことがあったんだけど(今でも好きですが)、廃墟少女の作者もまたこのカテゴリに属するのかなと。岩波から出ている鏡花短篇集の解説をあらためて読んでみて、以下の記述を見つける。あるいは鏡花の作品は内容に拘らずに、表現の美しさを純粋に楽しむのが正しい態度なのかな。

 

どこにでも魔力がひそんでいるとは、しかし、部分が常に全体に優先していることだと考えることができる。そう考えると実際、鏡花の作はおしなべて、全体の構想が部分を統率し、部分を有機的に連関づけているという印象には乏しいと思い当る。

 

廃墟少女もまた、どちらかと言うと文脈よりも一枚絵の美しさに惹かれる。昨日触れた「音楽が見える男」の物語は良かったけど、他方「廃墟少女」や「箪笥少女」については、絵が綺麗なのは強く印象に残っている一方で、物語としての印象は薄い。そのことが悪いというのではなくて、むしろ文脈というか物語は最小限に、絵の美しさだけを楽しむのも、唯美主義的な観点からはありなのではないかな、と個人的には思っている。

  

鏡花短篇集 (岩波文庫)

鏡花短篇集 (岩波文庫)

 

 

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