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ひながたり。

writing practice as practice flight

言葉で伝える安心感

考えごと

英語のプレゼンを聞いていたら、スライド1枚の中の半分は式とか図で、残りの半分は12ptくらいの文字の文章でびっしりと埋めてある、そんなスライドがどんどん出てきた。話者はご丁寧にもスライド中の一文一文をそのまま述べてくれる。これは読む気にならないなとちょっと辟易しながら話を聞く。どうしてこういう作り方をするんだろう?

 

そこでふと思い至ったったわけなんだけど、低コンテクスト文化圏の人にとっては文章で表すことが安心できる方策なんだなと。そしたらすんなり疑問が氷解した。彼ら彼女らにとってみれば、たとえ文字サイズが小さくても本意を正確に文章で伝達するのが良くて、それが正しいと思ってやっていることなんだ。文化が持つコンテクストの高低の優劣を問うものではなくて、1枚にたった1単語あるいは1枚絵が載せてあるスライドなんかよりも、文字ばっかりのスライドの方が、時と場合によっては有効なんだろうなと感じた。

 

あとは聞いている最中に色々と質問も浮かんでくるんだけど、いざ質問しようと頭のなかでちょっと考えてみると、失礼の無い英語はどんなのだっけと逡巡してしまって、結局質問できない。英文自体はわりとさくさく組み上がるんだけど、それがぶしつけな言い方でないかなとか、あるいはpolitically correctかなとか考えると判断がままならない。相手が低コンテクスト文化に馴染んでいて、文章や言葉を頼みにするところが大きいのであれば、そうしたところの表現には十分に注意しないとだよね。言い回しを本で確認してくるとか、準備するぶんにはいくらでもやりようはあったなあと。

  

 

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