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ひながたり。

writing practice as practice flight

ZUN 「東方香霖堂」

僕自身がどうして日記を書き始めたのか。その始点をふと振り返ってみると、古い日記の始めに以下の引用文を見つけた。これこそが、本書の第十八話「月と河童」の冒頭からの引用。本書の出版は2010年だけど、元原稿はWeb記事で、掲載がたしか2008年だったはずなんだ。

不思議な事に日記を書き始めてから、些細な出来事でも気が付く様になったのである。日記を書くという行為の本当の意味は、日々の出来事を忘れない為でも過去を見つめ直す為でもなく、些細な変化でも見落とさない様に感度を高める為だという事に気が付いた。
人は普段から物凄い量の情報を受けながら生きている。そして興味の有る物以外の情報はそのまま流され、興味の有る物だけが自分のアンテナに引っ掛かり自分に蓄積されていく。日記はその感度の偏り具合を極限まで増幅する、謂わば真空管アンプの様な効果を発揮する。日記を書き始めた事で極限まで感度が高まった状態の僕は、どのような些細な事でも見逃さないだろう。

東方シリーズに登場する少女達からは一歩離れた、(たしか)唯一の男性キャラである森近霖之助の視点から語られる、各話完結の全27話。彼の小道具屋「香霖堂」は現実世界から絶滅しつつある、言い換えれば幻想郷入りしつつある道具たちを扱っていて、そこに霊夢魔理沙、その他諸々の面子が訪れるところから物語が展開される。

 

2008年当時はだいぶ東方に熱を上げていて、ゲーム的にも思想的にもかなり影響を受けた。毎年頒布される新作はLunaticは無理だったけどExtraまでは周回したし、とりわけ永夜抄はハイスコア狙いでだいぶ長いこと遊んでいた。あとは同人誌は際限がないから買わなかったけど、出版社から出た書籍はほとんど目を通していた*1。どこぞの大学の学祭で講演会があったという話もちょこちょこ耳にして、行きたいなと思ったけど結局行かずじまい。

 

今ではさすがにその熱もだいぶ落ち着いてきて、一昨年頒布の神霊廟ではExtraが終わらず、昨年頒布の輝針城はついぞHardまでノーコンティニュークリア出来ないまま積んでいる。つい最近の例大祭でまた新作が出たらしいけど、こちらはノータッチ。書籍に関しては、本書以外の東方関連の書籍はみんなスキャンしてPDFにしてしまったなかで、本書だけは紙媒体で残している。本書が神主の思想の根底に一番近いところにあると感じているから。

 

冒頭の引用文に戻ると、こぼれ落ちていく日々の出来事に抗うべく日記を書き始めたんだったのだと思い出した。思考や感情もまたしかりで、どんなに面白いと感じたことでも、少し気を抜くと新たな情報の奔流に押し流されて、すぐにこぼれ落ちていってしまう。だからもう一歩踏み込んで、どこが面白いのかをきちんと追求して、具体的な・タンジブルな印象として残しておきたい。そういうわけで始めた、その出自に神主の思想が色濃く残る日記は、細く長く6年経った。

 

東方香霖堂 ?Curiosities of Lotus Asia.

東方香霖堂 ?Curiosities of Lotus Asia.

 

 

*1:そういえば白いほうの三月精だけは絶版で結局手に入らなかった

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