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ひながたり。

writing practice as practice flight

梅原大吾 「勝負論」 - 勝負師のための幸福論

本書はだいぶ昔に買ってあったんだけどちょっと手付かずになっていて、でも『東大卒プロゲーマー』に感化されたこともあって*1、今回ちゃんと読んでみた。第1章が相当面白いです。

 

ただ深く自覚することになったのは、結局僕はひとりの世界にいるよりも、誰かと真剣勝負をしているほうが好きで、楽しい、という事実だった。

勝ち負けの世界は甘くないし、勝ったら勝っただけ、負けた時にはこき下ろされる。それでもやはり、僕は勝ち負けの世界を通して自分の成長を実感することのほうが好きだ、ということに気がついた。

人生は、幸福感を高めることがもっとも大切だ。だから、好きなところにいるほうがいいに決まっている。 (p. 43)

 

自分が成長する感覚に他者を介在させる。他者を介在させる一番わかりやすい形が、格闘ゲームを含めた勝負事ということなのでしょう。そしてそこで幸福感を得る。

これはとても新鮮な視点だった。なぜなら僕自身はというと、徹底的に逆の立場、他者を介在させることなく自分が成長する感覚を得てきたから。シューティングゲームを通して自分の実力と冷徹に向き合い(あたかも『連射王』の主人公、高村のように*2)、あるいは読み手のない日記をしたためながら、日々の些細な出来事に対する感度を増幅していく(あたかも東方シリーズの森近霖之助のように*3)。そこには他者の入り込む隙はなくて、それでも現に自分が成長する感覚を得て、幸福感をいや増してきた。きっと僕は勝負師の資質ではないんだろうけど、それはそれでいいんだろう。

 

 

あとは第2章で出てくる、勝ちに対する考え方かな。本書の著者・梅原氏と、『東大卒プロゲーマー』の著者・ときど氏には共通点がある。両者とも「勝ちへの強すぎるこだわり」を捨てて以降、さらに素晴らしい結果を出していることだ。

 

勝つことを求めることは大切だが、むしろ経験上、僕は勝ちを求めすぎると良くないと思う。勝ちにこだわりすぎるあまり、結果としてかえって勝てなくなってしまう。 (p. 95)

昔の僕は、勝とうとしすぎたのだと思う。勝ちたいあまり、勝ちに直結するような選択肢ばかりを探そうとしていた。しかし、勝ちに即つながらない選択肢のなかにも、強さの理由は隠れているのだと、僕は学んでいった。 (ときど『東大卒プロゲーマー』p.190)

 

なんかこのニュアンスどこかで読んだことあるなーと思っていたら、ラッセル先生の『幸福論』でした。以前の記事*4では触れなかったけど、ラッセル先生は競争それ自体に没頭することをそのまま不幸の原因として指摘していて、以下引用。

 

この災いの原因は、幸福の主な源泉として競争して勝つことを強調しすぎる点にある。 (ラッセル『幸福論』p. 54)

人生の主要目的として競争を掲げるのは、あまりにも冷酷で、あまりにも執拗で、あまりにも肩ひじはった、ひたむきな意志を要する生きざまなので、生活の基盤としては、せいぜい一、二世代ぐらいしか続くものではない。 (同上 p. 60)

 

梅原氏もときど氏も幸福論に明るかったか、そうでなければ己の経験からこの境地に至ったんだろうな。とくに本書からはそこはかとなく俗世を解脱した雰囲気が漂っているし。すごいものです。

 

 

勝負論 ウメハラの流儀 (小学館新書)

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