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ひながたり。

writing practice as practice flight

綾奈ゆにこ「ちいさい百合みぃつけた」

読書

まず一番に挙げておきたいのは、百合とはなにか、という問いに対するひとつの答えを、本書から見つけられたこと。コラムに出てくる以下のくだりを読んだとき、はっとさせられると同時に、僕自身がおのずからこの言葉を語り得なかったことを少し残念に思った。

わたしが百合を好きな理由。友情とも恋ともつかない、けれど相手のことが大切だったり、気になったり、どきどきするその気持ちが愛しいから、かな。気持ちのやり取りが好き。共感だけじゃなく憧れもある。見ていて可愛いなと思う親心のようなものもある。

月刊ニュータイプでの連載がもととなった本書は、そんな繊細でやわらかい気持ちが満ち溢れたコラムが37編収録されています。加えて特別コラム3つと書き下ろし漫画とあとがき、それに天野しゅにんた志村貴子の寄稿が収録されていて、月刊ニュータイプの連載を追っていた人でも改めて楽しめるつくりになっている。そしてなにより、青色を基調とした装丁が美しい。僕はこれまでに『少女セクト』とか『ゆるゆり』とか、どちらというと暖色系が目立つ作品に触れてきたので、青系統の色を新鮮に感じたけど、でもとても綺麗で百合に合うなあという印象を受けた。まあ『青い花』という至高の百合作品があるくらいなので、百合と青色というのは決して相性が悪いわけじゃない、というのはなんとなくは分かってはいたのですが。

ちなみに特別コラムの1つは「私を構成する三大百合作品」で、これは以前の記事*1でインスピレーションを貰ったもの。また本書とは別に、同時期に発売になったユリイカ2014年12月号では、特集で著者のインタビュー記事が掲載されているので、こちらも一緒に読むと理解が一層深まって良い感じ。

 

 

数あるコラムの中でも秀逸だと感じたのは「桜の樹の下では」。このコラムの着想のくだりは、ユリイカのインタビュー記事にある通り。

一度だけ、もうネタが出ないと思った瞬間もありましたが、それきりですね。連載があるからこそ常に百合モードになっているというか、妄想回路がよく働く状態だったんですよ。あと、運命的な出会いもいっぱいあって。
――運命的な?
井の頭公園でお花見をしている女子大生をみつけたときに「あっ、百合の神様っているんだな」と思いました。(以下略)

百合の神様を見つけた著者は、神がかった筆運びで女子大生2人の感情を描き出す。相手のことを大切に思う気持ちと、でもおおっぴらに出来ないという葛藤が同居しつつ、綺麗な余韻を残しながらコラムは終わる。

コラム中で著者が百合センサーと称したもの、実を言うと僕自身も一度だけ反応した機会があってね。平日にぶらりと立ち寄った美術館で、閑散として人もまばらな展示室の中、ふとすれ違ったカップルを一拍置いて振り返ると、どちらも女の子だったという。年の頃は社会人になって間もないといったところだったかな。お互い就職して離れ離れになってしまったけど、今日は久しぶりに逢えて嬉しい、ゆっくり過ごそうね、という妄想が捗った。あれほど強く百合センサーがビビッドに反応したのは、後にも先にもこのときくらい。

 

 

百合作品が含んでいる葛藤だとか、もしくは痛みの要素について、ユリイカのインタビュー記事でも見解が示されているので以下引用。

百合人口が増えて、百合作品が世に出て来やすくなるのはとても幸福なことだと思います。ただ、今、百合ファンに受け入れられている作品は、可愛らしく、キャッキャウフフした「ゆるい百合」世界なので、原理主義者的な立場から言わせていただくと、歯がゆいものがあります。(中略)可愛くて優しいだけじゃない百合の世界も、もうちょっと受け入れてもらえたらいいのになとは思っています。

どうだろうなー。僕自身はそんなに拘りは無くて、楽しめれば良いかなって漠然と思っている。僕が取り上げた三大百合作品のうち、『少女セクト』はわりとシリアスな、それこそ葛藤だったり痛みだったりといった要素も見え隠れしているし、一方でゆるゆりは著者の言葉を借りれば、「可愛らしく、キャッキャウフフした『ゆるい百合』世界」だよね。両者に共通するのは、ベクトルは違えど(僕自身の個人的な嗜好に合致する)絵の美しさや可愛らしさであって、それらがあれば十分かなって考えてしまう。なんというか、ある意味唯美主義的な発想。だからこその一話完結オムニバス形式でも全然楽しめているわけで。

 

 

そのほかにユリイカのインタビュー記事で共感したのは以下の部分。

――そもそも、綾奈さんにとって「書くこと」とは、どういう行為なんでしょうか。
自分の考えを整理するもの、ですね。こうやってお話しながら答えを探すタイプなんですが、それと同じで、書きながら何かを見つけようとしている。まずは出してみて「あっ、この言葉じゃなかった」って引っ込めるような、自分の思いにぴったり合うものを探し続けることです。(以下略)

整理された思考を文章にアウトプットするのではなく、文章を書くことで思考を整理していく、という考え方。まあこれはこれまでにも結構指摘されていることなのかもしれない(たとえばこれらの記事*2*3)。でも実際に自分でもブログを書くようになって、頭のなかのモヤモヤが書いているうちに整理されていくのを体感できたのは、自分にとって大きな収穫だった。あるいは物書きの人たちは、思考が整理されるという効用を知っているからこそ文章を沢山書けるし、文章に取り組もうというモチベーションが起きるのだろうな。

 

 

僕の思考もだいぶ整理されたかな。まずはこのへんで。

 

ちいさい百合みぃつけた

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