ひながたり。

writing practice as practice flight

本によって読み方を変える

はじめに

以下の記事にインスパイアされています。感謝!

最近の本の読みかた - dd_otsuさん

 

本によってその読み方を変えるということ、自分のなかでは常日頃考えていたけど、きれいな形にアウトプットしたことなかったので、試しに書いた。そのまま鵜呑みにしてほしくないので欠点も挙げた。

実際に書いてみて、どうしてこんなに手で書き込むことに拘るんだろうと自分でも思った。記録に残しておくという意味合いももちろんあるけれど、それ以上に、中身を理解して記憶するには手書きが一番効果的だと信じてる部分がある。

 

 

専門書とかの堅い本

紙の本を買ってきて、使い潰すつもりで読む。使い潰す心理的ハードルを下げるのに、まずは表紙カバーをはがしてしまう。ページの余白には、数式の展開なり、思考したことなりをなんでも書き込んでいく。気になったページは角を折るか、ふせんを使ってマークする。すると本棚には表紙カバーのない、ふせんの飛び出た本たちが並ぶことになる。あまりスマートとはいえない、でも僕にとっては効果的なこのファッションは、大学時代に居た研究室の、隣の研究室の准教授から教わった。

紙の本を買ってくるのは、理解を深めるのに全体と部分の関係を把握したいお年頃なので、目次と本文を行ったり来たりして、構造を意識しながら読むようにしているから。これが電子書籍だとまだやりにくい。一覧性は間違いなく紙の本の長所だと思う。

自分がメモするときのコンテクストを意識している。本文なしでメモだけ見ると、どうしてこれを書くに至ったのかが思い出せない、または思い出すのに時間がかかることが多い。メモを本文と一緒に保存しておけば、それはすなわち本に書き込むということだけど、後でそのメモを見たときに、それを触発した本文から、すぐに自分の思考過程をトレースすることができて便利。

欠点は、人に本を貸すハードルが高くなること。思ったこと、考えたことをノーガードでなんでも書くので、人に見られるのはなかなか恥ずかしい。あと手放したくても売れなくなるし、捨てるときにはちょっと気を使う。加えて、ものを丁寧に扱わない人に見られるかもしれない。

 

 

論文

論文も、ディスプレイ上のPDFではなんだか心許なくて、印刷して紙にしないと身が入らなかったりする。周囲からは、どうしてこいつはこんなに印刷が好きなんだ(そして、こんなにも印刷用紙を消費しやがって)と思われているかもしれない。参考書と同様にして、余白部分に何かしら書き込みながら読む。適宜アブストラクトとかコンクルージョンとかの全体構造を意識しながら、部分を読み進めていく。読み終わればそれが論文とメモのワンセットになる。

欠点は最後に紙媒体として残るせいで、検索性が相当悪いということ。読んだはいいけどどこにしまったか忘れた論文は数知れない(本と違って数ページの紙片なのでよく失くす)。かといって電子ファイルにスキャンし戻しても、メモ書きの乱雑な文字はOCR認識してくれないので結局検索できない。検索性を確保するのにまだ試行錯誤の段階だけど、別途論文ノートをデジタルで作ってやって、そこに論文の書き込みのエッセンシャルな部分だけ転記するというのが一案。もう一案として、読んだ論文のインデックスだけでもデジタルで作ってやれば多少はましになるかな、と思っている。

 

 

漫画と小説

参考書や論文とは反対に、構造を意識せずにシーケンシャルに読み進めてる。一覧性を求めていないので、タブレットで十分読めてる。本はkindleで買うか、紙の本を買ってきてスキャンしてやる。kindleだと見られない漫画の表紙裏とか、紙の本のほうが情報量が多いことがままあるので、kindle版が極端に安くない限りは紙の本で買うようにしている。スキャンは確かに手間だけど、慣れてくると結構さくさくと進められる。本文検索は、紙の本ではもともとできなかったのだからと思ってあきらめている。それでも多少はOCRが機能してくれる。

欠点は、裁断方式でスキャンすると物理的な本が手元から消えてしまうので、自分の中での本の存在もまた意識下に沈みやすくなってしまうことか(僕だけかもしれない)。紙で買ってきたけど読まないままでいて、スキャンしたけどなお読まないままでいる本たちが、タブレットのなかにそこそこの数で眠っている。

 

そういえば最近は小説全然読んでない。

 

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