ひながたり。

writing practice as practice flight

他人と話すことの効果

問題、自分自身の視点変えないと、見えてすらこない。たとえ自分では問題が無いと思えても、それは自分の視点からは見えていないというだけで、そして見えていないのだから具体的に認識することもできない。そういう類の厄介な問題が存在するよ、ということを、教訓的に・メタ的に覚えておくのがせいぜいといったところ。まあそもそもが見えてないものなので、なかなか納得感は得られないけど。

 

具体的には、例えば「相手の人称をその人との親しさに応じてどう変えるか」という概念、もし英語だけしか知らなかったら、その発想すら出てこない。一方で日本語では、相手のことを「あなた」と呼ぶか「お前」と呼ぶか、あるいは別の表現で呼ぶかで、この件が問題になって"見えて"くる。けれど英語と日本語しか知らない僕にとっては、相手の人称に関する上記以外の概念を検知できない。せいぜいが、これ以外に問題はあるかもしれなくて、いつか視点が変わって検知できるようになるかもしれないなと、教訓的に・メタ的に覚えておくので精一杯である。

 

そして、自分の視点を変えるには、他人と議論するのが大変はかどるって最近わかってきた。自分の視点を変えるにはどうしたら良いか、これまで一人でずっと考えてきてて、本読んだり、ネットを彷徨ったりして方法論探してきた。けれど一人だけでなんとかしようとするよりも、人と話すほうがよっぽど楽に視点変えられて、しかも効果的だった。同時に、これまで一人で黙々とやってたことはなんだったんだろうって、ちょっといたたまれない気持ちになる。

 

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