ひながたり。

writing practice as practice flight

堀越二郎 「零戦」 読んだ

去年の11月の話になるけど、さいたまスーパーアリーナ零戦の復元機体が展示されると聞いて、是非にと思って行ってみてた。

https://www.zero-sen.jp/event/

展示会場のスタッフが実際に動かしながら説明するには、零戦主翼端は50センチほど上側に折りたためるようになっている。折りたたむことで空母のエレベーターに収めるという理由らしいけど、たかだか50センチで両翼合わせても1メートル、もとの翼長12メートルに対して1割にも満たないし、最初から取り払ってしまってもいいんじゃないかと、素人考えにはそう思ってしまった。

 

でも本書を読むと、零戦の設計者である堀越二郎が明確な意図をもって、零戦に12メートルの翼長を選択したということが良く判る。このわずかな面積差が零戦の翼面荷重を低下させ、ひいては格闘性能を向上させているらしい。機体の細部までこだわり、わざわざ折りたたみ機構を設えてまで翼面積を確保するのに妥協しない姿勢、それがのちの零戦の活躍に繋がったとすれば、技術者としてこれほど冥利に尽きることは無いと思う。

 

戸部良一らの「失敗の本質」にもあるとおり、零戦は日本の技術陣の独創ではないかもしれない。けれど、たとえ既存の技術だけだったとしても、それらを高い次元で統合させたという事実は評価されるべきだと思ってる。以下の証言、1963年にアメリカ海軍作戦部長からなされたもので、20年経っても色あせない零戦インパクトの強さがうかがえる。

零戦のもっていた優差は、拳闘のチャンピオンが、相手より一インチ長いリーチ(攻撃の届く深さ)をもっているのにたとえることができる。航空機の場合、ひじょうな強さを示すものでも、一般に個々の性能の数字で見れば、大した差ではないのである。われわれはこの小差の集合から生まれる優差をわが手に握る必要があるのだ。 (p. 232)

さきの翼面積に見られるような小差の積み重ね、上手く統合すれば実戦で大きな差となってあらわれてくるということを、設計者である堀越二郎は感覚的に知っていたんだと思う。

 

あと面白かったのが、解説文中にある宮崎駿の台詞。以下に引用してみる。

「非常に冷静で円満な組織者のように見えるけど、どうも堀越二郎のほんとうの姿ってのはかなり違うんじゃないかと勝手に前から思っててね。書き手によってものすごく像が分裂するんだよ。写真をみるとじつに穏やかに笑ってるんだけど、なんか……この笑顔にダマされてはいけないという思いがあってね」 (p. 241)

堀越二郎は、人前ではじつに平静を装って円満に見えるけど、やりたいことをなんとかしてやりたいと思ってる……じつは要求にこたえて零戦を作ったんじゃなくて、自分のやりたいことに軍の要求を合わせただけなんじゃないだろうか!?」 (p. 243)

「あのひとはただ円満で才能のある設計者だったんじゃなくて、熱狂があったはず。それは"美しいものを作りたい"という熱狂であって……」 (p. 243)

宮崎駿堀越二郎、広く括ればクリエイターである彼らには、両者通じるものがあるんだと思う。ともすれば設計なんてのは芸術の領域に近いかもしれない。堀越二郎の熱狂の先にあった飛行機には、はたして彼の探求する美のイデアは存在したか。きっとそうであってほしいと願ってる。

 

 

 

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