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ひながたり。

writing practice as practice flight

森美術館 「シンプルなかたち展」 行った

飛行機 コンピュータ 考えごと

はじめに

少し前の話になるけど、東京は六本木にある森美術館に行ってた。シンプルなかたち展というのやってて、公式サイトもシンプルなつくりになっていて良さある。

www.mori.art.museum

最近、といってもここ1年くらいだけど、ミニマリストの意識高まってきてて、持ち物はそんなに捨ててないけど、なるべく身の回りをシンプルにして、エントロピーを増大させ過ぎないように心がけてる。

サブタイトルにある「美はどこからくるのか」というのは面白い設問で、シンプルさが美しさを喚起するのか、それともシンプルであればそれだけで美しくなるのか、あるいは両者はどのように両立する・されるものなのかとかいろいろ考えてた。

あと作品紹介の音声ガイド、無料で借りることできてお得感あった。

 

 

マルセル・ダッソー 「プロペラ『エクレール』」 観た

展示、9セクションに分かれてて、セクションの途中で飛行機のプロペラが突然出てきて驚いた。公式サイト見たら、そういった科学技術とのかかわりが展示されてるセクションがあって、以下引用。

Sec.4 力学的なかたち

19世紀末から20世紀初頭にかけての科学技術の進歩は、力学的な原理によって新しいシンプルなかたちを生み出し、芸術家たちを虜にしました。プロペラの美に魅了されたマルセル・デュシャンは、「絵画は終わった。このプロペラに勝るものをいったい誰がつくれるか」と語り、航空力学に触発されたコンスタンティンブランクーシは、基本的な線だけで生の躍動を表現する彫刻を生み出しました。本章では、当時の芸術家たちを魅了したプロペラをはじめ、ブランクーシや田中信行の彫刻、空気の流れを表現する大巻伸嗣のインスタレーションなどを紹介します。

キャプションを見ると、展示されてたのはマルセル・ダッソーのプロペラ「エクレール」で、1916年頃の作品とある。この展示の写真載せてる記事見つけたので、実際どんなプロペラかはリンク先を参照。

 

casabrutus.com

 

作者のマルセル・ダッソーウィキペディアの記事*1によれば肩書は航空機製造者で、生粋のエンジニアリング寄りの人物ということでまた驚いた。記事によれば大学卒業後にプロペラ機を設計したとあって、いわゆる芸術家でなくとも、プロダクトをこうして作品として展示してもらえるのは、設計者として大変嬉しいことだと思う。

 

プロペラ、2本の対称なブレードは中央のスピンナを介して滑らかに接続されてて、また木製ブレードと金属スピンナとの調和が美しい。冒頭の引用にある、マルセル・デュシャンが語ったとされる台詞「絵画は終わった。~」は、このプロペラの展示キャプションで出てきたもの。なんかめちゃくちゃすごいプロダクトという感じでプロペラをべた褒めしてて、読んでいるこちらも微笑ましくなる。

 

あとキャプションにある説明で面白かったのは、プロペラの流線型・連続的変化というのが単に曲線美だけじゃなくて、回転運動から放たれるエネルギーまでも表現していますという点。僕自身はこの連続的に変形していくプロペラの形状というものは、性能の最適さを追求しているうちに*2、結果的に生まれた副産物だと考えていたんだけど、そうではなくて内包する運動エネルギーを象っている、芸術的な立場からはそういう解釈もできるんだなっていうことがわかって興味深い。

 

 

コンスタンティンブランクーシ 「空間の鳥」 観た

あとは空間の鳥という作品あって、これはコンスタンティンブランクーシの手による作品だけど、これもなんかすごそうな説明あった。展示のキャプションによると(僕のメモ書きが正しければ)、この「空間の鳥」は、ブランクーシが関心を寄せた視覚的課題、力学的世界への興味、そして芸術に対する精神的な取り組みといった、すべてのものが交差する場所に位置するものだといえます、とのことで、なんかすごすぎて超越してる感がにじみ出ている。この作品もプロペラみたいな形してて、プロペラ的曲線が持つロマンを再認識させてくれる。

 

 

まとめ

芸術とデザイン、もしくは芸術とエンジニアリングの境目というもの、個人的に追究したいトピックで、それは僕をして芸術作品へと向かわせるし、あるいはコンピュータへと向かわせてる。デザインとエンジニアリングを分けて書いたのは、ふと思い出して読み直した「ハッカーと画家」の第2章で、以下の表現にぶつかったから。

優れたソフトウェア設計者は、建築家がエンジニアでないのと同じように、エンジニアではない。もちろん建築とエンジニアリングの境界ははっきりと定められているわけじゃないけれど、確かに存在する。それは「何を」と「どうやって」の間にある。建築家は何をするかを決め、エンジニアはそれをどうやってするかを考え出すのだ。

すなわち設計者とエンジニアはイコールではない、と著者のポール・グレアムは述べている。ただ僕個人としては、上記引用中の「何を」にも、「どうやって」にも興味があるし、むしろ「どうやって」を追究することもやぶさかではない。プロペラを作ったマルセル・ダッソーも、ウィキペディアの記述からは設計者寄りのセンスを感じるけど、でもプロペラを木と金属とでこの世に具現化した、エンジニアリング的な部分も兼ね備えている。そのあたりの趣き、僕個人が考えてる理想的なあり方だった。というわけで今回の展示行って良かった。

 

 

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

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