ひながたり。

writing practice as practice flight

へんりいだいだい

以下は昨日書いたもので、本当は昨日のうちに投稿したかったんだけど、リンク貼ったりなんだりしているうちに日付変わった。あと記事書いてるうちに、これなんだか第七官界彷徨*1っぽいなと思い立って、意図してそういう文章構造を試してみたかったというのもあって時間かかった。どうかご寛恕ください。寛恕という言葉、意味はやさしいのに、字面がこわめで使いにくくて、損してると思う。

 

快楽天20th&X-EROS2nd展 SUMMER DXという展示*2、東京は日本橋space caimanで開催されていたんだけど、今日が会期の最終日だったからせっかくなので観に行った。いや美少女の肌色見たいんじゃなくてポルノとアートの境界を探究するんだし、と言い訳しつつ、でもやっぱりへんりいだ先生は偉大ですという話をしようと思って、帰り道でタイトル思いついたまではいいんだけど、手帳開いて日付見たら、今日って初音ミクの誕生日だったよねということをふと思い出して、調べたらもう8周年になるらしい。おめでとうございます。

 

書評とは何か、あるいは批評とは何か、ということを最近よく考えるんだけど、かつて買ってたボカロ関連の同人誌にVOCALO CRITIQUE(ボカロクリティーク)というのがあって、名前の通り古今東西のボカロ批評を集めた冊子で、冒頭の問いのヒントが得られるかもと思って読み返したら結構面白かった。Vol.01の前巻に相当する "Pilot" の巻頭記事「ボカロ批評は可能か? 可能だと思います。」、とくに参考になる。この巻頭記事は大学の先生が書いてるらしいんだけど、こういうアカデミックとカルチャーの境界にある文章が書けるようになりたいと思うし、そのためには自分の中の引き出しも出来る限り広くしておかないといけない気がしてる。だからこそ上で書いたようにポルノとアートの境界を(以下略

 

ボカロクリティーク、手元にあるのがVol.07までで、最終巻であるVol.08は買っていなかった。なんで買わなかったかというと、当時すでにボカロから関心離れつつある時期で、そもそもVol.06とか07あたりも惰性で買ってる部分あったんだけど、Vol.08ではついに買わないという決断をしたんだった。でも今になってみると、せっかくだから最終巻まで買っておけば良かったなと思う。Vol.06にある編集者の巻頭言で残り2巻だと宣言されていたわけだから、買うための時間的心理的余裕はあったはずだった。それでも今回の記事書くのにあたっていろいろ調べてたら、京大の図書館に蔵書あるらしくて期待値高まる。

 

ボカロクリティーク、最終巻のVol.08は買ってない一方で、Vol.05あたりは間違えて2冊買ったんだった。間違えた2冊目はとらのあなで買った。漫画に関して言えば、僕が2冊買った漫画はそう多くなくて、それは玄鉄絢の「少女セクト*3と「星川銀座四丁目」、それにへんりいだの「はつこいりぼん」くらいだったりする。それだけ好きということだけど、1冊は冊子のまま残して、もう1冊はスキャナで自炊してPDFに変えた。「少女セクト」の2冊目、メロンブックスでレジ待ちの列に並んでいる最中に手にとって買った。「はつこいりぼん」はとらのあなメロンブックスで1冊ずつ買って、それぞれ特典もらった。ちなみにとらもメロンも混むからあまり好きじゃなくて、普段はCOMIC ZINに行く。

 

少女セクト玄鉄絢、僕がその存在を知ったのは2007年の末だったと記憶してる。僕が氏のブログを読むきっかけとなったのが少女セクトで、そしてブログの2008年3月の記事*4を読んだことはなぜか鮮明に憶えているので、それよりも前だったことは確かである。SF小説家のアーサー・C・クラークを知ったのもこの記事がきっかけだった。その後ちょっとだけSFにはまって、記事で紹介されている「前哨」をはじめ、いくつかの作品は大学の図書館で借りて読んだ。絶版本であっても、図書館だと蔵書していることがあるから期待値高い。ということで、僕が少女セクトを知ってからもう8年になるから、これは初音ミクと同い年だった。

 

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

 

 

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