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ひながたり。

writing practice as practice flight

横井軍平、牧野武文 「横井軍平ゲーム館」 読んだ

ゲーム 読書 考えごと

はじめに

本書、もともとは1997年に発行された書籍を復刊したものだけど、珍しいことに2度目の復刊ということ、それに同じ著者による別の横井軍平本も存在していて混乱しがちなので、以下に時系列を整理しておく。

  1. 横井軍平ゲーム館 (1997年、アスキー

  2. ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男(2010年、角川書店

  3. 横井軍平ゲーム館 RETURNS ─ゲームボーイを生んだ発想力(2010年、フィルムアート社)

  4. 横井軍平ゲーム館: 「世界の任天堂」を築いた発想力 (ちくま文庫)(2015年、ちくま文庫

2010年当時、僕は2つ目の「横井軍平伝」は買っていたのだけれど、同年に発行された復刊本「RETURNS」のほうはなぜか買いそびれてて、その復刊本も今となっては絶版で手に入らなくなってしまって、もどかしい状況が続いてた。そこに今回のちくま文庫からの2度目の復刊ということで、今度こそとばかりに喜び勇んで買ったんだった。

 

本書のタイトルにもなっている横井軍平、著者の言葉を借りれば「任天堂で、ファミコン以外全部を開発した人」ですごいし、その哲学は「枯れた技術の水平思考」という有名な言葉で語られることが多い。本書はその言葉を体現する彼の作品群、アナログなウルトラハンドからデジタルのバーチャルボーイに至るまで、任天堂時代の多岐に渡ったプロダクトを詳細に解説している。

 

 

内 容

横井軍平任天堂時代の作品群、大きく4つの括りに分けることができそうで、それぞれが1~4章で記述されてる。目次は以下のとおり。

第1章 アイデア玩具の時代 1966-1980

第2章 光線銃とそのファミリー 1970-1985

第3章 ゲーム&ウォッチの発明 1980-1983

第4章 ゲームボーイ以降 1989-1996

第5章 横井軍平の哲学 1997-20XX

 

なかでも第3章読んでて、十字キーのすごさを改めて感じさせられた。ゲームセンターにあるジョイスティックをいかにしてゲーム&ウォッチに落としこむか。仕組みはとても単純なのに、解としてこれほど鮮やかなものもそうない。こればかりは枯れた技術の水平思考では説明しにくいし、横井軍平がたぐいまれなアイデアマンでもあったことの証左でもある。

(中略)原理は押しボタン四つと同じことなんですけど、十字キーの場合上を押せば、下が浮き上がるでしょう。これが大切なんですね。感触だけで押している方向がわかる。

つまり、薄型のゲーム&ウォッチにジョイスティックを納めて、なおかつ確実に押している方向がわかるということから考案したんです。

十字キーしかり、あと「キャラクターはハウツープレイの役割を担っている」の項からも読み取れるように、人間とのインタフェース、あるいはアフォーダンスといえばいいのか、そういうものに対する感覚がすごく鋭かったんだなということが窺える。

 

1~4章の内容は前述の「横井軍平伝」にも存在してて、内容も似通ったものになってるけど、第5章の内容は「横井軍平伝」には存在しない。一方で「横井軍平伝」には、彼が新たな会社を立ち上げて、ワンダースワンなどの開発を手がけるところまで書かれてる。なので両方読むと相互補完的に楽しめます。

 

全5章に加えて、文庫版では書き下ろしの「忘れかけては、思い出す"横井軍平"」が追加されてて、これがまた面白い。大人になるとなぜゲームをやらなくなるのか、そして遊びの本質とは。

ゲームなど、世の中にとって必要のないものであり、やったところでなにかが身につくわけでもない。時間の無駄といえばそのとおりだ。しかし、その時間を楽しむことができ、心を豊かにすることができる。それが遊びの本質だった。

しかし、ゲームがユーザーのニーズに応えだしてからは、ゲームを遊ぶ前に、ゲーム攻略雑誌を読んで予習をしなければならず、その攻略法を身につけるための稽古をしなければならなくなった。(中略)楽しめるのは、寝食を忘れ、膨大な時間をゲームに注ぎ込んできた猛者だけという状態になってしまった。

だから、多くの人が「ゲームは時間の無駄だからやらない」といって、ゲームから離れていっているのだ。(中略)ゲームはいつの間にか、楽しいものではなく、努力と辛抱を必要とするものになってしまった。楽しい遊びではなく、つらい仕事になってしまった。これこそ、横井さんがいちばん心配したことだった。

 

「その時間を楽しむことができ、心を豊かにすることができるだろうか?」 この問いに対する答えがイエスである限り、僕はシューティングゲームをはじめとするゲームを遊び続けると思う。けれどシューティングゲームが、上で言う稽古を絶対的に必要とするのも、また事実であって。努力と辛抱で時間を無駄にして心を豊かにしているんだよ、そう言い切る強さが求められるシューティングゲームというものは、つくづく業が深い。とにかくシューティングゲーマーという人種は、前述の問いには自覚的でいるべきでしょう。自機が意のままに動いて、撃てば敵を墜とせる、そこで満足していれば良かった。けれどそれだけじゃ物足りなくなって、ワンコインクリアを目指したり、はたまたハイスコアを狙うなどやってみるから、ときに苦しくなる。そのハードルを上げているのは、他でもない自分なのだから。

 

 

余 談

  • 本書の表紙デザイン、初代ゲームボーイ風になってて良さある。ちくま文庫はA6サイズだけど、初代ゲームボーイも同じくらいの大きさだったかなと思い出しつつ調べてみたら148×90ミリだった。対して表紙デザインのゲームボーイのサイズがだいたい130×90ミリ。狙ったかどうか定かではないけど、横幅が一致してて心憎い。
  • コントローラーの話、ケイブシューはジョイスティック(アケコン)、東方シリーズはPSコン、それ以外のゲームでは箱○コンだと一番しっくりくる。

 

 

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