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ひながたり。

writing practice as practice flight

森博嗣 「自由をつくる 自在に生きる」 読んだ

読書

はじめに

本書、以前に買ってあったと思ってて、でも読もうとしたら本棚に見当たらなかった。引越かなにかのタイミングで手放したのかなとも思ったけど、今回読んでみたら記憶に残ってる文章が見当たらなかったから、たぶんそもそも買ってなかったんだと思う。森博嗣の三部作(と呼んで良いものかどうか)である「自由論」「工作論」「小説論」のうち、本書は「自由論」にあたる第一作目。

 

 

内容

申し訳程度の内容紹介をしておくと、著者の定義する自由というのが以下引用。

 

自由というのは、「自分の思いどおりになること」である。自由であるためには、まず「思う」ことがなければならない。次に、その思いのとおりに「行動」あるいは「思考」すること、この結果として「思ったとおりにできた」という満足を感じる。その感覚が「自由」なのだ。 (p. 18)

 

でも多くの人は上で定義するところの自由な状態ではない。なぜ自由でないのか、それは何かに支配されているからです。自分を支配しているもの、それは他者かもしれないし、属する組織・社会かもしれないし、あるいはとりもなおさず自分自身かもしれない。そうした支配(具体例は実際に読んでみてほしい)に気づくきっかけを与えてくれるのが本書。

 

大切なのは、まず気づくこと。

支配されていることを自覚すること。

そこから、自由な発想が生まれる。自由に発想すれば、自然に自在な行動ができるだろう。 (p. 91)

 

 

できる自分を作り上げる

タイトルは見出しから借りてる。知識は技術が伴ってはじめて使えるようになるよ、という話。

 

(中略)知識というのは道具のようなもので、たとえば、金槌と釘を手にすれば、それだけで大工さんと同じ能力を持つかというとそうではない。知識を持っていても、それをどう使えば良いのかがわかっていない、すなわち技術がないからだ。

だからこそ、講義を受けるだけでは不足で、実践的な訓練を積むわけである。そうすることで、「使える自分」がだんだんできてくる。こうして、思いどおり自在に行動できる自分に変わる。 (p. 40)

 

かくいう僕も文章術みたいな本を大量に持ってて(今調べたら紙の本だけで7冊あった)、知識だけは十分にある(と信じたい)んだけど、それだけで文章がすらすらと書けるようになるわけでは決してない。だからこそ練習としてのこのブログなわけで、自分なりに記事数を稼いできたけど、なかなか思い通りにはいかない。記事まとめ上げるのに今でも相当の時間がかかってて、知識と技術はやっぱり別物だなというのを実感してる。それでもブログやっていない頃よりかは、はるかにましな文章書けるようになったと思うし、ゆっくりとした歩みだけれど、「使える自分」に変わっていくのを実感できるのは面白い。

 

目指すものへ向けて、少しずつ近づいていく自分、それを体感する楽しさ、そして、おそらくは辿り着けないかもしれないそのゴールを想うときの仄かな虚しさ、でも、とにかく、その前向きさが、自由の本当の価値だと僕は思う。 (p. 63)

 

ブログに限らないけど、ある物事を続けていくためのコツというか、モチベーションになりうるのって、結局のところ上で書かれている「自分の変化を体感する楽しさ」に尽きるんじゃないかと思う。少なくとも僕はそれでブログを続けられてる。「そのゴールを想うときの仄かな虚しさ」、それでも本書の著者に比べれば、吹けば飛ぶような文章力で虚しさばかりが募るけど、とにかく前向きにやっていきたい。楽観主義は意志なのだから。

 

どんな場合であっても、人間は自分が思ってもいない方向へはけっして進めない。 (p. 140)

 

 

言語化することの得失

言語化によって客観的・論理的な思考ができるようになる一方で、思考自体がパワーダウンしてしまうデメリットも挙げられてる。僕自身は書きながら考えることが多い(というかほとんどだ)から、思考のパワーダウンには注意しておく必要がありそうだった。

 

言葉にするためには、自分なりの整理が必要だし、細かい部分で0か1かの決断をしなければならない。もやっと存在するものを、AかBか、どちらに近いかを決めなければ、言葉にならないからだ。この過程で、自分一人で悶々と悩んでいたときに比べると客観的な思考ができるようになる。 (p. 108)

書いたり、話したりしながら考えると、思考が論理的になる利点はあるけれど、逆にそれは、思考が一列になっただけで、明らかにパワーダウンしていることに注意した方が良い。思考が、伝達手段に制約され、不自由になっている証拠といえる。 (p. 160)

 

発想を論理的にまとめることの難しさはまさに実感しているところで、下書きの時点では頭のなかに浮かんだフレーズをどんどんと書き留めるけど、結局のところうまく一列に並べられる要素ってそんなになくて、せっかく浮かんだアイデアが拾われずに眠ってしまうことが多々ある。あるいは、あるテーマについて記事書こうと思ったときに一文か二文は浮かぶけど、いざ実際に記事にできるまでに膨らませられるのってそんなになくて、そんな短文ばかりが下書きに溜まっていってる。それでもそのような「理路整然と並べられない思考だって現に存在するのだ」(p. 161) ということ、そしてそれら、言葉以前の原始の思考の力強さは、忘れずにありたいもの。

 

 

余 談

  • この記事もなんとか2400字くらいでまとめたけど、下書きの時点ではいろいろ試行錯誤して3000字くらい書いてて、歩留まりはそんなに良くない。そしてまとめるのに2時間くらいかかってる。
  • 上で最後に書いた "言葉以前の原始の思考" というフレーズは、『蒼き鋼のアルペジオ』でのハルナの台詞「言葉は始原…美しいシステム…」*1から着想を得て少しひねったわけだけど、こうした過程は全然論理的じゃないから本文には書けないのであった

 

自由をつくる 自在に生きる (集英社新書)
 

 

*1:いま調べたら2巻にあった

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