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ひながたり。

writing practice as practice flight

ブログに書かない毎日

概 要

ブログを1ヶ月休んでみた。記事の文字数を稼げないのはメディアの制約ではなく、むしろ自分の思考様式に原因がありそうだった。もうちょっと考えられるようになりたい。

 

 

経 緯

以前に記事*1にしてた森博嗣自由をつくる自在に生きる、記事を書いた当時はあえて触れなかったんだけど、読んで以来ずっと心に引っかかっている一節がある。それとはまさに「ブログの罠」というタイトルで、ブログで人目を気にする、しすぎることで陥りがちな思考様式に警鐘を鳴らしている箇所だった。少し長いけど引用。

 

しかし、ブログを書くことが日常になると、ついブログに書けることを生活の中に探してしまう。(中略)たとえば、1年かけてじっくりと考えるようなもの、10年かけなければ作れないようなもの、そういった大問題や大作ではなく、今日1日で成果が現れるような手近な行為を選択するようになるのだ。

知らず知らず、ブログに書きやすい毎日を過ごすことになる。

これは、「支配」以外のなにものでもない。人の目を気にし、日々のレポートに追われるあまり、自分の可能性を小さくする危険がある。充分に気をつけたほうが良いだろう。

そういう人は、ためしにブログを1ヶ月くらい休むと良いかもしれない。人に見せない、というだけで、自分が選ぶものが変わってくる。

 

森博嗣の言う支配は人の目だけど、最近になって、自分の思考がこのブログという媒体に制約を受けてないかとふと思い始めた。

 

僕の書く記事はだいたい2000字くらい、多くても3000字程度で、この文字数はブログ記事としてはとてもすわりが良い。でも分量だけで換算すれば、上の引用で言うところの「今日1日で成果が現れるような手近な行為」に収まってしまう。ブログ記事としてのすわりが良いのをいいことに、2000字ほどでできる思考の堀り下げに留まってしまって、しかもそこに安穏としているような気がしてしまっている。特に「1年かけて」とか「10年かけて」といった機会がこのブログの中ではほぼ皆無なのが致命的で、自分でも気づかないうちに、思考の持久力が制約されていたのかもしれなかった。

 

そこで上記引用の教えにしたがって、ブログを1ヶ月くらい休んでみた。ここまでの文章は1ヶ月前に書いてて、ここから先を今日になって書き足した。

 

 

結 果

ブログを休んだからといって、1年かけてとか、10年かけてとかの長いスパンで物事を考えたかというと、全然そんなことはなかった。思考の掘り下げが2000字くらいに留まるのはメディアの制約ではなくて、そもそもの自分の思考がその程度の持久力しか保たないせいだということが判明した。原因と結果の因果関係を取り違えてはいけないことに気付いた。1年とか10年とか、僕はそういう遠い未来のことを考えるのが苦手というか、無意識的に避けているのかもしれないということがわかってきた。

 

この2000字くらいという分量は僕にとって居心地が良すぎて、これ以上考えることをさせない魔力がある。けれど、僕はせめて1年くらいのスパンでは物事を考えられるようになりたいと思っているし、そう願っているので、もっと考えようと思う。要はもうちょっと深掘りの効いた思考にしていきたいという緩やかな決意表明です。これはシーケンシャルにつなぐ文字数を多くしたいこととほぼ同義で、これまで以上の長い文章はブログにはそぐわないかもしれないし、書く時間ばかりかかって記事数も減るかもしれないけど、このブログは副題にある通り、どこまでいっても書く練習場所なわけで、そこは自由自在にやっていければ良い。

 

 

余 談

  • 1ヶ月放置してもアクセス数は減らない、これは興味深い観測結果だった。過去記事に対する検索流入が底上げしてくれているかららしくて、なかでも一番活躍しているのが例のアマツツミの感想記事*2*3らしかった。
  • 変わった部分はといえば、ブログに書こうという意識にとらわれずに本を読めたことで、かつて記事にしてたちいさい百合みぃつけた*4、それにハーモニー漫画版*5を再読したりした。もしかしたら記事にするのは難しいかもと半ば思いつつも、久々にハヤカワSFを読んでみたりもした。その意味ではブログに急かされていた部分が少しあったのかもしれないなとも思う。 

 

自由をつくる自在に生きる (集英社新書 520C)

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