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ひながたり。

writing practice as practice flight

大塚ギチ 「THE END OF ARCADIA EXTRA VERSION」 読んだ

本作はもともとネット配信された小説で、その後の書籍化、そしてエクストラ・バージョンとして再度書籍化されたのが本書ということで、多少複雑な経緯となっている。以下に本書とその周辺から得られる本作の歴史を簡単に整理しておく。僕は今回初めて読んだ。

 

シューティングゲームを題材にした小説というと、僕が真っ先に思い浮かべるのは川上稔の連射王で、これに関しては以前にブログでも記事*1にしてた。本作と連射王では共有して持っている空気があって、それはある程度は予想されるものではあったけれど、例えばアーケードのシューティングゲームに熱を上げる温度感であるとか、ゲームの要所を攻略していく、もしくは攻略を語る醍醐味であったりした。その一方で両者で決定的に異なっているのは主人公のあり方で、連射王の主人公が高校生であるのに対して、本作のそれは40歳を超えたおっさんとなっているところです。高校生の少年はその若さで新しいことをどんどん吸収して、ゲームを攻略していくけど、不惑過ぎの男は長いブランクを経た自分の体をまず鍛え直し、むかし得意だったルービックキューブを組み直し…というところから始まる。

 

若いうちにこの本は読んでおけ、みたいなことは色々なところで良く語られるけど、その意味では自分が若かった・シューティングゲームに熱を上げていた頃に連射王を読み、そして逆に年を重ねたうえで本書を読めたことは、たいへんに時宜を得ていたなと今になっては思う。遊ぶ時間でいえば既に第一線は退いていて、シューティングゲームも含めたゲームに対するマインドセットは徐々に変わっていく、むしろ変わらざるを得ないのは実感としてある。それを認めた上での重み、年を重ねたからこそ語れるものが確かにあって、本作からそれが感じられたのは良かった。これから迎えるであろう40代に備えての心構え、下準備としての本作というのは、さすがに少し言い過ぎかな。

 

 

本作でフォーカスされているのはシューティングゲームのハイスコアで、これはゲームが一番上手くやれることを最も端的に表してくれる数字である。僕もかつてはハイスコア狙いでシューティングゲームを遊んでいた時期があって、これは以前にも記事に書いてたけど、一番印象に残っているのは東方永夜抄だった。このゲームは本当に良く遊んだもので、当時がシューティング熱の高まりの頂点だったなと、今になっては思う。

 

hina747.hatenablog.com

 

永夜抄のExtraで20億点を取れたのは自分の中でのひとつのメルクマールではあるのだけど、一方で至らなかった挑戦というのも数多くあったのは事実だった。永夜抄でいうならば、Lunaticはまぐれの一度以外は二度とノーコンティニュークリアできなかったし、Hardは何度挑戦してもついぞ30億点に届かなかった。その挑戦の繰り返しにつらさが無かったといえば嘘になるし、加えてかつてリアルタイムで見たとある方のブログ閉鎖、いまでも記事*2が残っていたからつつしんで引用させていただくけど、

ゲームに対して初めて「疲れる」という感覚を覚えました。

というのを見ていて、僕もいつかはこんなふうに思って、ゲームをやらなくなるのかなと漠然と考えてた。

 

けれど実際にはゲームをやらなくなることはなくて、今から振り返れば少し離れていた時期はあったにしても、なんだかんだで離れたり近づいたりを繰り返しながら今に至る。シューティングゲームでいえば箱〇を買って怒首領蜂大復活で遊び、アーケードスティックを買い足して怒首領蜂最大往生を遊び、最近ではPCでMecha Ritz: Steel Rondo*3を遊んでる。もちろん遊ぶ時間は以前と比べれば格段に減ったし、スコア狙いで遊ぶ気力も体力ももはや存在しない。けれどゲームを心から打ち込むための方法は、なにもスコアラーになることだけじゃなくて、そこにはいろいろなゲームとの向き合い方があって良いと今では思うし、そしてそれは誰に強制されるものでもない、自分自身の問題だと思う。あたかも本作の主人公が900万点のハイスコアを諦め、かつての750万点を目指すと覚悟を決めたように、そしてそれは他でもなく、自分たちのための挑戦だと位置づけたように。

 

心構えをするだけが覚悟の意味じゃない。覚悟には諦めるという意味もある。確かにおれは諦めた。900万点の可能性を。だけどエンドウの思いに応えるのを諦めたくはなかった。それがおれの覚悟だった。

「今回のアタックは映像に記録したり、ネット配信したりしないの」

オトヤの問いにナンバが答える。

「それも考えたんだけど、これは別に誰かのためでもひとに見せるためにでもない、おれたちが勝手にやるだけだってこいつが言うんだ。オトヤンもそれでいいか」

「あくまでおれたちのためにやるんだね。了解だよ」

 

あるいは連射王からの引用になるけど、この部分がとても印象に残ってた。作中の竹さんの発言、冒険するだけが選択じゃない、冒険しないのもまた選択であるというのは、今になってより印象強く感じさせられる。

 

「これは、ゲームセンターという戦場での、己の態度を示すものなんです。面白く有りたい人はそのために使い、暇を潰したいひとはそのために使い、本気になりたい人はそのために使い、そして――」

「冒険しない自由さえも、己の選択です。――今の僕は、そう思いたい」

 

それは僕にとってみれば、スコアリングを諦めて、こうしてゲームについての文章を書くことが、ひとつの覚悟だったのかもしれない。そこを無意識的ながらも遷移して、軟着陸できたのは僥倖だった。ハイスコアを目指さなくとも、今こうして本気で文章を書くことで、ゲームと心から向き合っていると感じる。「敢えて問いますが、君は、ゲームが好きですか」連射王にあるこの問いには、当時から約10年を経た今でもイエスと応えられるだろう。

 

 

かつてシューティングゲームに挑み、栄光を手にした理想郷、けれどタイトル通りにいつかは終わりを告げ、そしてボーナストラックの鼎談で著者が「それでも人生はゆるゆると続いていくもんだよ」と表現したように、むしろ終わってからのほうがきっと長い。ではそこでどうするのか? かつての栄光に縋り続けるのか、それともふたたび栄光を取り戻すために立ち上がるのか――それがたとえ別の形であれ、あるいは不格好な姿であれ。年を重ねた今になっても、やれることはきっとある。その背中は、本書が押してくれる。

 

THE END OF ARCADIA EXTRA VERSION

THE END OF ARCADIA EXTRA VERSION

 

 

 

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