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ひながたり。

writing practice as practice flight

DCEXPO 行った (1年ぶり5回目)

DCEXPO、毎年開催されているデジタルコンテンツ系のイベントだけど、今年は忙しくしてたらその存在をすっかり忘れていて、そういえばと思い出したのが開催の2週間前だった。急いでネットで調べたら10月最終週の開催だったので一安心した。10月の3連休に合わせての開催だったら間に合ってなかったので、危ないところだった。

 

 

ちょうど事前予約のところで8KVRというのを見つけたので予約してた。8Kについてはよく知らないままに勢いで予約していたけど、少し調べてみたらNHKが中心となって開発を進めている技術らしかった。

  

www.nhk.or.jp

 

当日は音楽のライブ体験のあとにテクノロジーの紹介が入って、なんでも8KVRを実現するのに3つの技術を使いましたとのこと、それらというのが8Kスーパーハイビジョンと、22.2chの三次元音響と、あと3D立体映像だった。映像と音響の方面は専門外なので、技術の趨勢はいまいち良く読めていないんだけど(という言い訳をしつつ)、4Kではなくて8K、5.1chではなくて22.2chということで、体験の質は確実に向上していることが実感できた。特に音には臨場感があってとても良い。3D立体映像に関しては個人的な体験が乏しいので、従来との違いが判らなかったけど、ネットの紹介記事*1を見るに「映画館で見るような3D映画以上の立体感と実在感」とあるのでこちらもすごかったっぽい。ともあれ、それぞれの技術は独立したものだろうけど、それぞれが着実に前に進んでいること、そしてそれらが組み合わさることで至高の体験になることを知った。

 

 

話をDCEXPOに戻すと、この催しのコンセプトは公式サイトの開催概要のところに書かれていて、少し長いけど引用してみる。

販売促進を目的とした展示会や見本市では、会場を華やかに彩る企業の展示ブースとそこで発表される新製品が花形ですが、デジタルコンテンツEXPOでは、製品化以前の研究開発段階にあるシーズ技術やプロトタイプシステムが主役です。(中略)デジタルコンテンツEXPOでは、世界の先端技術が一堂に会し、研究者と企業とクリエイターが、それぞれの立場からこれらの技術の可能性を考え、社会にイノベーションの姿を提示することで、“死の谷”を克服する架け橋の役割を果たします。

展示の多くを占めているコンピュータグラフィックスやヒューマンインターフェース系の技術はやはり専門外だから、その動向は読めていないんだけど、少なくとも展示内容が毎年変わってて、しかもそれが洗練されていく方向に進んでいる様子は理解しているつもり。

 

PlayStation VR

PlayStation VR

 

 

たとえばVR、去年くらいから本格的な民生品がいくつか登場して、今年は満を持してPSVRが登場した流行りの技術だけど、これなんかはすでに研究領域を離れつつあって、今年はProject AliceVOORSYMMETRYの展示に見られたように、ソリューションとして徐々に成熟してきた感がある。一方で人工知能とかAIは今まさに研究が熱い感じで、ざっくり見た感じでは女子高生AIりんなショートショートの自動生成AIによる白黒写真の自動色付けシステム人工知能(AI)活用の対話エンジンAI CommunicationLazy Armsと色々な方向性が見られたのが純粋に楽しかった。

 

個人的には展示以前の技術、展示にあるようなスマートなものじゃなくて、もっと混沌としている状態のものが見られると研究の参考になって興味深いのだけれど、それは展示の趣旨とはやや外れるだろうし、それならば大学のオープンキャンパスにでも行けば良いということになる。それに展示技術からも少なからずヒントは得られるだろうから、それを見つけにこの催しに行くのもありかもしれない。

 

 

www.miraikan.jst.go.jp

 

ついでに常設展にも足を運んでいて、今年も例によってLE-7エンジンを見てきた。日本科学未来館に来て年に一度展示を見ること、そしてそこから自分が何を感じて・何を考えるのか、期せずしてその定点観測になっているのが面白い。去年はプラネテスを引き合いに出して感動を語り*2、一昨年はプロダクトの美しさに惹かれていた*3。昨年はまだしも、一昨年に自分が何を思っていたかなんて全然覚えていなかったので、記録しておくことは大事だった。

 

ポール・グレアムハッカーと画家を読んで以来、といってもだいぶ前に一度読んで、そして折に触れて読み返している書籍だけど、最近とみに「何を」と「どうやって」の境界について考えてる、というより考えてしまう。もちろん「何を」のアイデア、そしてどうやってのタネを見つけることが最も大切なんだろうけど、そこから「どうやって」を導き出して・発展させるのもまた大事なことだと思う。ロケットエンジンでいうならば、目に見えないところでは構造、熱、推力の設計、目に見えるところでは複雑な配管系、緻密に並べられたノズルスカートの冷却チューブ、そしてマウントのいかめしい十字の梁。これらが形作る姿、合理性と美しさが一体となったさまは「どうやって」の側の努力なくしては実現できなかったものだろう。まあこの主張には自分に対するジャスティフィケイションの面が少なからずあるだろうし、それに両者をあまり分け過ぎるのは良くないってポール・グレアムも続けて書いてた。何にせよもう少し気楽にいきたい。

 

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