ひながたり。

writing practice as practice flight

スライドにロゴを入れるか問題、あるいは自分のアイデンティティの置き場

外国に来ると否が応でも自分の立ち位置を相対化させられて、それは自分のアイデンティティがどこにあるのかという問いにゆるやかに展開される。同時にそれ――外国に来ること――は他者の研究のプレゼンテーションを見る機会でもあって、そこでは様々なデザインのスライドを目にすることになる。スライドのデザイン、たとえばパワーポイントのデフォルトのテーマを使ったシンプルなものがある一方で、おそらく対外発表用に準備されたものだろう、色やレイアウトが綺麗に揃えられたものも見かけるといった具合。

 

あるいは所属、affiliationのロゴをどうスライドに入れるか、もしくはそもそもスライドにロゴを入れるか否かという問いは個人的に興味深いものであって、これは当然ながらロゴを入れる派と入れない派に二分される。入れる派はさらに、右上に入れる派・右上に加えて左上にも入れる派・さらにもっと入れてる例も観察されて、これまたスライドデザイン並みに多様性がある。日頃お世話になっている所属のこと、クレジットとして示すのが礼儀だというのがロゴを入れる派の主張だと思われる。

 

一方でロゴを入れない派というのも界隈には存在していて、たとえば以前の記事*1で冒頭に引用させていただいた資料、見やすいプレゼン資料の作り方ではKissの法則を引き合いにして、模様やロゴマーク、主催者・講義・団体などの表記といった必要のないものはスライドから削除しましょうとある。あるいは以前に記事*2にさせていただいた書籍、研究発表のためのスライドデザインでもやはりロゴなどは入れない方がよいとのことで、曰く「ロゴが各スライドに入ると、統一された「それっぽさ」を漂わすことはできるのですが、聴衆に伝えたい内容とは無関係です」。いずれの主張も、研究発表を想定したスライドの本質はコンテンツにあるのであって、それ以外のものは置くべきではないというものになっている。

 

ここで自分の来し方を振り返ってみると、昔はロゴを入れるのが大好きで、タイトルスライドには所属のロゴを入れていたし、中のスライドでも右上にロゴと左下にフッターを放り込んでいた。なんでそうしていたかを今になって振り返ってみると、上で挙げたクレジットとしての意味合いもあるんだろうけど、つまるところは自分のアイデンティティの置き場がそこにあったということ、組織に帰属した自分にありようを求めたかったんだろうなというのが解として思い当たる。大学と大学時代に居た研究室はとても好きだったし、ともすればそれを誇示するような気持ちもあっただろうか。

 

でもあるときからそういう気持ちを抱かなくなって・ロゴを入れることをあえてしなくなった。この感情の正体はなかなか見え難いけど、そうした所属なり肩書なりを示すのに多少の後ろめたさを覚えてしまったから、という曖昧な解に至っている。所属が持つ重みに自分がだんだんと追いつけなくなっていって、釣り合わない気がしてならなくなったということ。あるいは理系という肩書を意識して避けるようになったのもちょうど同じ時期だったと思う。もちろん自分から理系ですと声高に主張することは昔も今もないけれど、昔はその肩書にどこか誇らしさ、優越感に近いものを持っていたのかもしれなくて、でもそのありように自分がどうしても届いていかなかったということ。当時は一切のロゴを外していて、でも今になって振り返るとさすがにそれは極端に過ぎたと感じている。諦観して逆サイドに極振りしたくなるというのは自分のなかの傾向としてあるっぽい。

 

まあ何が言いたかったかというと、所属とか肩書とかに余計な感情を発生させず、それに優越感を持つこともなく、また卑下することもなく、ニュートラルな気持ちでやっていければ一番良いということです。そんなことで悩むのかと言われそうだけど、そういう気質なのでたぶん仕方がない。

 

最近では中庸の道を少しは探れるようになってきていて、タイトルスライドには所属のロゴを入れるけれど、中のスライドではコンテンツに集中してもらうためにロゴ等は入れないというやり方に落ち着いている。ともあれ所属の側からはそのあたりの機微を踏みにじられることなく、自由にやらせてもらえていることには感謝してやまない。

 

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