ひながたり。

writing practice as practice flight

トリノライン、シミュレーション図、システムの科学

Ouverture

hina747.hatenablog.com

 

トリノラインはいま2周目を遊んでいるところで、本当はそこでの体験を改めて語れれば良かったのだけれど、実際にはまだルート分岐にも至らないくらいに遅々として進まなくて、そしてそうこうしているうちに別の積もる話題も出てきたから、今回はそうしたものたちをとりとめもなく書くだけの雑談回。

 

 

トリノライン

上でも書いたように2周目を遊んでる。はじめて間もなく沙羅が自分の決心を述べる場面、ここは以前の感想記事のときには完全に頭の中から抜けていたんだけど、もう1周してみて良さを再発見した。エンディングムービーで流れるいくつかの曲、当初聞いたときにはいまいちピンとこなくて、でも改めて音楽だけで聞き直してみたら綺麗に刺さってしまい、ここ最近は繰り返し聞いてる。夏空のペルセウスのオープニングムービーの曲でもやっぱり同じ感じで、繰り返して聞くうちに取り憑かれるようになったから、そういう味わいを持ったブランドなのかもしれない。

 

hina747.hatenablog.com

 

 

シミュレーション図

トリノライン、例によって衒学的に書けないものかと、ネットの海を彷徨っている最中に見つけたのがこのシミュレーション図。著作が理化学研究所、初版発行が2017年2月28日とあってわりとタイムリーではある。

 

www.aics.riken.jp

 

サムネイルで見るとまるでシリコンウエハのような虹色の輝き、しかしそこにびっしりと詰め込まれた文章はたいへんに示唆に富んでいて、この図だけでシミュレーションの世界が一望できそうなものである。まず目に入る左上の問い、「シミュレーションとは、どのような意味だろうか?」に呼応する、シミュレーションという言葉がカバーする広がりは以下の3つに及ぶもよう。

 

  1. 事象を推測する
  2. 体験を拡張する
  3. 自己を模倣させる

 

ここでアンドロイド、トリノラインで中心に据えられているテーマも、上でいうところの3つ目「自己を模倣させる」という意味で広義のシミュレーションと解釈できるだろうか。この内容については図の右上あたりで述べられていて、そこで出てくる文章いわく「人間は、その知的好奇心の中に『自らの手で自らの似姿をつくり出したい』という欲望を潜ませているようです」。この「ようです」という表現に込められた情緒がなんともいえず素晴らしい。なぜかは知らないが我々は人形を愛でたいし、また人形を創り出したい生き物なのである。なぜかはわからないけどね。

 

シミュレーションの世界を知る上であわせて読みたいのが、右上の少し中心に近い位置にある「シミュレーション仮説」のところ。シミュレーション仮説はスウェーデン生まれの哲学者ニック・ボストロムが唱えている仮説で、平たく言えばこの世界はシミュレーションであるよというもの。僕はRebuildのHakuro Matsudaさんの回*1で初めて知った。かの哲学者はオックスフォード大学教授でもあり、また理化学研究所がこうして発行するポスターにも記載されているあたり、全く荒唐無稽な話というわけでもないらしい。ただし解説にあるとおり、「この仮説は『シミュレーションの外側』を知ることが原理的に不可能なため、科学的には肯定も否定もできません」。なのでそれ以上前に進むことは難しそう。僕が感想記事で書いた「プログラムそれ自体が果たしてバグを自己認識できるのか」という問いはここに由来するものであって、上で引用した解説が正しいとするならば、シロネからは「シミュレーションの外側」である自身のプログラム(とそのバグ)は認識できないんじゃないのという引っかかりがあった。まあでも沙羅は天才だからそのあたりもうまくやっているのかもしれないね。ちなみにニック・ボストロムはTEDにも出演していて、シミュレーション仮説が主題ではないものの、そのときの動画を見ることができる。

 

www.ted.com

 

このシミュレーション図は真ん中の部分をくり抜いて本物に貼りましょうとある。説明文にもあるけれど、「本物とは何か」を改めて問われるとそれを答えるのは難しい。自然にあるものが本物か、ならば人工物に本物はないのか。原子に還元してしまえばそれらの区別はつかないのでは、あるいはビット列に還元してしまえば。これは余談だけど、0と1だけで構成された論理回路の思考の世界が、現実世界における電子素子の電圧差で表現されるということ、かつてそのソフトウェアとハードウェアの接面を知ったときには言いしれない感動を覚えたものだった。

 

 

システムの科学

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シミュレーションの話題は「システムの科学」にも少しだけ記述があって、今回少しだけ読み返していた。システムの科学、原題は "The science of the artificial" であって、システムというのも人工物としてのニュアンスが強い。そして人工物の最たる特徴は訳者があとがきで適切に言及していて、以下引用;

 

このような人工システムの顕著な特徴は、これに対比される自然物とは違って、人間の願望や意図を実現すべくつくりだされたものであるという点である。換言すればそれは、自然法則の命ずるままに従っている「自然物」とは異なり、自然法則に従いながらしかも設計者たる人間の目的を達成するようにつくられたものなのである。

 

ここでふたたびトリノライン、人工物としてのアンドロイドを通して、上で言うところの「人間の願望や意図」が描かれるひとつのあり方としてこの作品を位置づけることはできるだろうか。トリノEDITIONに同封されたグリーティングカードの体験、その裏面にあったメッセージの "人類" という主語を見たときにはこれまた大きく出たなとは思ったけれど、しかしアンドロイドというのは人工物として人間の願望の究極の形であり、したがってシロネは本質的に魅かれるべき存在であり、決して言い過ぎではないのかもしれないとも思えてくる。

 

シミュレーションの記述は第一章にあって、そこにある主張「シミュレーションの前提にあるのは我々の知っていることであるにもかかわらず、しかしシミュレーションは我々に未知の事柄を教えてくれる」というのはなかなか興味深い。そしてその根拠(のひとつ)として、たとえ対象の全体像が判っていなくても、その「抽象化にぜひとも必要な部分」を知っていればシミュレーションはなせるし、そしてそこから得ることもできるのである、と続く。すべてを知っている必要はなくて本質だけを知っていれば良いということ。トリノラインで描かれているアンドロイドが人間の心を持つくだりも、そんなに科学的にぶっ飛んだ設定というわけでもなく、本質さえモデル化できれば結構いいところまでいけるんじゃないかと素人考えには思ってしまう。受動意識仮説とか、あんまり難しい前提なしにシンプルに心を説明できそうな主張も世の中には存在する。

 

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

 

 

人工知能の心についてはシミュレーション図にも記述がある。図の右上、「自己を模倣させる」のところと、左下でも心の理論が述べられているのでそれぞれ読んでみてほしい。

 

あとはちょっとした補足で、左下からすこし中央寄りに「模倣物それ自体の魅力」という記述があって、ここに書かれている内容もまた面白い。対象それ自体を模倣することによって仮託する魅力と、そうではなくて模倣物それ自体から生じてくる魅力。シロネにもおそらくそういう双方の魅力があるのだろう、2周目にはそういったところに注目しながら回ってみるのもいい。

 

とまあこんな感じで、ARとかコンピュータ・ゲームとか、この図を見ているとまだまだ話題に事欠かないのだけれども、長くなってきたので一旦このあたりで締める。

 

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