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【読書】小説家という職業(森博嗣)

はじめに

森博嗣の三部作(と呼んで良いものかどうか)である「自由論*1」「工作論*2」「小説論」のうち、本書は「小説論」にあたる第三作目。

  

小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)

 

 

本書を久々に読み返してみたらすごく面白くて、他の2冊とともにもう一度読み直そうとなったのが、これら三部作を記事にしようとしたそもそものきっかけだった。これがもう2年も前の話。

 

 

まえがき / 第1章 小説家になった経緯と戦略 / 第2章 小説家になったあとの心構え

まえがきを読めば結論がわかる親切設計で以下引用。4ページ目でいきなり出てくる。

 

もしあなたが小説家になりたかったら、小説など読むな。 (ページ番号p. 4, kindle位置No. 13, 以下同じ)

小説を書く仕事をしたいのなら、自分が好きなものを一旦忘れなさい。 (p. 4, No. 15)

 

なぜか、それは良い小説とはとりもなおさず「創作」であって模作ではないからです。古今東西の小説を読み、あるいは憧れの作家の小説を研究し、それらを再現する技術を生み出しそして小説を書いたところで、畢竟それらは先行者たちの模倣でしかない。創作とは元来そういうものではなく、他人を真似ても価値は生まれない。自己満足のためなら別にそれでも良いのだけれど、しかし今は職業としての小説書きの話をしていて、そしてそこでは "新しさ" "珍しさ" こそが消費者を引きつけるのに必要な要素なのである。もっと極端にいえば、「『たえず読者の期待を裏切ること』が作家の使命なのだ (p. 83, No. 788)」。

 

その一方で、小説家を職業とするうえで必要なのは、芸術家ではなく「職人」であること。

 

僕のする仕事、すなわち作品を欲している人がいれば、その人と交渉をし、条件が合えば、自分のできることをする、というスタンス。芸術家ではない、職人である。(p. 115, No. 1111)

 

これもまた自分の中だけで完結するのなら、別に芸術家だろうと構わない。しかし繰り返しになるがこれはビジネスとして小説を書く場合のことを言っていて、そこでは「『相手からお金を取る』という行為に対して、もっと責任を持たなくてはならない (p. 53, No. 482)」。もっとも強調されているのが予定(締切)を守る、約束を守るということで、それは相手との信頼関係を築くうえで絶対に必要なものだし、それが結果的には自分の利益にもつながってくる。

 

これら2点、模索ではなくて創作、そして芸術家ではなくて職人、というのは、何も小説だけにあてはまることではない。たとえば作曲家や漫画家といった、創作を価値とする仕事全般に言えることでもある。その意味でははじめの2章は「小説論」というよりも「職業としての創作」論に近いように感じる。

 

 

第3章 出版界の問題と将来 / 第4章 創作というビジネスの展望

第3章では小説を出版する出版社の話。詳しくは本書を参照して欲しいんだけど、出版社というのはどうやらビジネスの常識が通用しないところらしくて、締切にルーズであり、それでいて本の発行は遅らせられないと考えていて、エッセィや取材の報酬料金は最初から提示されず、そして印税率は談合のごとく出版社間で横並び、というような諸々が著者の経験を通して語られる。本書が発行されたのが2010年6月で、電子書籍はまだ一般的ではなかった時代だけど、電子出版に関する未来予測の記述もある。7年前の著者の予想と現在がどれだけ一致しているか、比べてみるのもまた面白い。

 

第4章では小説を離れて創作ビジネス全般の話になる。面白かった節のひとつが「小説にテーマはいらない (p. 140, No. 1364)」というところ。僕も昔は唯美主義的な・快楽が享受できればそれで十分というスタンスでいたんだけど、最近になって幸か不幸か、この作品の作者は何か言いたいテーマがあるんじゃないかと邪推してしまうようになりつつある。そういう傾向は自分が読もうと選ぶ小説、あるいは遊ぼうと選ぶゲームの取捨選択にあたって自覚があって、けれど「小説から教訓を見出そうとしたり、小説の中で新たな知識を得ようとする人もたまにいるが、これは本来の小説の機能ではない (p. 141, No. 1372)」。同じような症状でお悩みの方は、この文から続くパラグラフを読むことで少し冷静になれると思う。

 

 

第5章 小説執筆のディテール

最終章である第5章では著者の小説の書き方について少し具体的に語られる。この章を通じて僕がいくつか実践するようになったテクニックがあって、もちろんそれらは表面上なぞっているだけであって著者の本質に近づけているわけではないものの、しかしそれなりに効果があったと感じている。それらは、

 

  1. 文書を書いたら1日以上置いて読み直すこと (p. 165, No. 1601)
  2. 書き終えたら、すぐに次の作品に頭を切り換えること (p. 185, No. 1813)
  3. タイトルをひたすら考えること (p. 188, No. 1850)

 

といったところ。詳細は本書を参照してもらいたいのと、他にもいくつかの具体的内容が挙げられていて、その中には「メモは作らない (p. 173, No. 1686)」といった凡人には参考にならない項目もあるので、そういうやり方もあるんだなと思いながら眺めてもらえると良い。

 

僕は小説は無理にしても、せめて文章はまともに書けるようになりたいと願っていて、良い小説は創作であるけれど、良い評論あるいは論文というものには、多少なりとも書き方に一定のフォーマット、体系化された技術が存在していると信じている。だからこうやって書く練習を続けているし、上の数字付きリストはそうした中でも自分の経験上良かったものを挙げた。しかし同時に、一番の上達方法はこれら「手法」に拘ることなく、ただひたすらに書いて、そして仕上げ続けることであるとも感じている。

 

 

あとがき

普段はあとがきなんて書かないけれども。

 

発刊された順に「自由論」と「工作論」はさくっと感想記事を上げたわけだけど、そこからが長かった。いつか書ければ良いと気楽に構えていたら時の過ぎるのの早いこと。別に誰かとの約束でもなし、書くことの強制力は働かず、このまま第三作目の本書についてはフェードアウトしてもいいかなと思うきざしもあった。それでも、任期の記事 *3 の終わりの情感は明らかに本書の影響を受けていて、それもあったが故にこうしてまとめる気になれた。

 

最終章の終わりは以下の文章で結ばれている。この文章がいつまでも、僕の未来と、そしてあなたの未来を照らし続けてくれることを祈っている。

書いた文章は、少しずつ集まって、きっとなにものかを築くだろう。幸運ならば、自分以外の人に、自分の一部が伝わるかもしれない。そして、それらはいつまでも残る。書いた人間よりも未来まで残る可能性を持っている。それだけで、十分ではないか。 (p.192, No. 1887)

 

 

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